畑が消えていきます…
実家近所は京都市内なんですが畑がそこそこありました。
京都市内に田畑とはこれ如何に?って思われるかもしれませんが、実家の近くは一応洛内ではありながらも御土居の外なんで、秀吉の頃から畑が認可されていたとかで、けっこう長閑なところでした。
子供の頃は芹田でザリガニやコオイムシを捕ったり、ショートカットして畑を横切って怒られたりと、昭和の子供がするような遊びがそこそこできた地域でした。
年に数回、京都市内にも雪が積もったときなんかは、畑のほうが雪の量が多かったり遅くまで残ってたりするので、学校帰りに畑に侵入して友人と雪遊びに耽ってました。後日、畑のオッサンが畑に子供が侵入して迷惑だと学校に怒鳴り込んで来るなど、田畑は色んな意味で好奇心と恐怖が隣り合わせになった面白いスペースでした。畑のオッサンに捕まったら大変ですからね。
都市開発
ちなみに、京都市内だと建物を建てるときに穴を掘ると遺跡が出てきたりして大変困ったことになるので、近所ではあんまりスクラップアンドビルド的なことはしてなかった気がします。
遺跡が出てくると工事は中断。後期の遅れによる損失は自腹で補填しなきゃならんので大変らしいです。その昔、とある現場では夜中に大八車に出てきたモノを積んで桂川へ捨てに行ったとかいう本当か嘘かわからないような話も聞いたことがあります。
まあ、そんなこと言ってても時代は移り変わってまして、小さな工場はバンバン潰れてスーパーやマンションになり、田畑は後継者がいなかったり法的なあれこれが解決したりで徐々に建売住宅へと姿を変えていきました。
特に著名な寺社仏閣があんまり残っていないJR以南はその傾向が顕著で、実家近くは建売住宅だらけになって、帰省するたびに建つ戸建て住宅の群れに驚いてばかりでした。
気づけば家だらけの街になってしまった実家周辺。
沢山あった銭湯も次々と廃業して建売住宅になってしまい、知らない人ばかりの町になってしまって寂しい限りですが、過疎化して自然に還るよりは良いのかもしれませんね。
家が建つってことは人が暮らすってことですし。
ただ、其処に住む子どもたちは一体どこでどんな風にして遊ぶんだろうと、老婆心ながら心配になります。
昭和も遠くなりにけりーですね。
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